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笠松善光寺 住職

善光寺だより 29年6月号


「身の程を 知る」

諦めるという言葉があります。

現在では、自分の願いが叶わず、その思いを断ち切るという意味で使われます。

仏教では「明らかにする」という意味です。自分自身の心を知る、明らかにする。

自分自身をわきまえることによって、苦しみや悩みの本当の姿が分かるのです。

ややもすると、自分の苦しみは社会が悪いから、あの人のせいだからと、原因を他に求めるのですが、全ては自分の欲に起因すると理解できれば、苦しみを解決する方法が分かるものです。

悩みからの解脱への一歩だといえるのです。

合掌

【第185回 智暁講座のお知らせ】

7月8日(土)午後1時半から2時半まで

『佛教シリーズ・仏教とは(95)』

参加をご希望の方はこちらより、事前にご連絡ください。


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